五十音 百 長編小説(1話完結)

幸運は、星から星へと伝播する ~An Orchestra of Stars~

それは、星を蝕む伝染病ではなかった

太陽が暗くなっていく宇宙で、たったひとりの宇宙飛行士が出会った「他星の友」との物語。
映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』に着想を得た書き下ろし作品。

雫とコハクの出会い
宇宙ヘダイブ

目覚め

目を覚ましたとき、雫のまわりには、誰もいなかった。

低い機械の音だけが、ずっと鳴り響いていた。宇宙船の呼吸音だ。雫は自分の名前を思い出すのに、しばらくかかった。一ノ瀬雫。三十四歳。これまでの人類の誰よりも、地球から遠くへ来た人間。──たぶん、最後の一人。

同じ部屋に、あとふたつ、眠る場所があった。どちらも、空っぽだった。冷たくなった仲間を、雫は自分の手で送り出したことを、少しずつ思い出していく。宇宙飛行士は、宇宙で死ぬ。旅立つ前から、そう決まっていた。それでも、ひとりになるというのは、覚悟していたよりも、ずっと静かで、ずっと辛いものだった。

なぜ、こんなに遠くまで来たのか。

理由は、窓の外を見ればわかる。星々が、少しずつ暗くなっていた。太陽も、そのとなりの星も、そのまたとなりも。まるで、誰かが順番に、灯りを絞っていくように。地球の科学者たちは、その犯人をつきとめた。それは、ごくごく小さな生き物だった。星の熱を食べ、次の星へ、また次の星へと、伝染していく。人々はそれを、ウイルスと呼んだ。星から星へ広がる、宇宙の伝染病だと。

やがて太陽の灯りが弱れば、地球の作物は実らなくなる。海は冷え、緑は枯れ、人は飢える。何十年か先、ゆっくりと、しかし確実に、人類は滅びていく。それをどうにか避けたくて、たったひとつの手がかりに、望みを託した。──たくさんの星が暗くなっていく中で、なぜか一つだけ、暗くならない星がある。そこへ行けば、答えが見つかるかもしれない。雫は、その答えを探しに、宇宙へ飛び立った。祈りのようなミッションだった。

窓の外は、完全な暗闇だった。

雫は、子どものころのことを、ふいに思い出した。夜、布団の中で目をつぶると、まぶたの裏に、小さな光の点がいくつも散らばって見えた。それは、星のようであり、体の中の何かのようでもあった。幼い雫は、そのとき本気で思ったのだ。──宇宙は、外側だけに広がっているわけじゃない。わたしの、体の中にもあるのだ、と。

大人になって、そのことは、すっかり忘れていた。今、こうして宇宙に来るまでは。

ここでは、宇宙の外も内も、自分の外も、内も同じ暗さだった。だから雫は、あの夜の続きに戻ってきたような、そして奇妙な安心感を覚えた。ひとりなのに、なぜか、ひとりきりではない気がした。その理由を、まだ、うまく言葉にすることはできなかった。

その時だった。

計器のひとつが、小さく灯った。ずっと沈黙していた画面に、ポツリと、点がひとつ。

何かが、近づいてきた。

雫は息を止めて、その点を見つめた。点は、ゆっくりと、けれどまっすぐに、雫の船の方へ動いていた。逃げても、逃げても、ついてきそうな──そんな正確さで。

 「物体Aが接近中」──宇宙船の音声アラートが船内に響き渡った。 雫は、まだ知らなかった。この小さな点が、自分の信じていたものを、まるごと、ひっくり返してしまうことになることを。

物体Aは、逃げても、逃げても、ついてきた。

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幸運は、星から星へと伝播する An Orchestra of Stars 表紙

岩の姿をした、遠い友

星の熱を食べ、星から星へ渡っていく「宇宙の伝染病」
恐れられていたそれは、命をつなぐ幸運のリレーだった。
宇宙のどこかで出会った、岩の姿の友「コハク」との対話が、この物語の中心にあります。

わたしたちは、同じルールの上に、立っている。
この宇宙の、どこにいても。

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うつっていたのは、病ではない。幸運の方だったのだ。

幸運は、 ゆっくりと、 伝播していく。

星から星へ。人から人へ。